――Raindrop――
      
         
        
    巷に雨の降るごとく
    我が心にも涙降る
     
      
 ふと浮かんだ詩の一節を口にすると、
「ほう――景王は、誰を想って謳われるのかな?」
 そう、延王が訊ねた。
「え?」
 きょとんと見返した陽子に、向いの椅子に腰掛けていた尚隆が説明する。
「失われた恋を嘆く、恋愛詩だと聞いたが」
「そうだったんですか・・・。実は、この部分しか知らなくて」
 照れ交じりに苦笑しながら愛らしく舌を出した陽子に、尚隆は密かに安堵の息を漏らした。
そして、穏やかに静かな声音で愛の詩を朗詠してみせる。
       
        
    何事ぞ!裏切もなきにあらずや?
    この喪その故の知られず
        
    故しれぬかなしみぞ
    実にこよなくも堪えがたし
        
         
「――と続きにあるそうだから、失恋の詩ともいえるだろう」
「へえ・・・」
 流石の博識に感心しながら、ふと思い浮かんだ疑問を何気なく口にした。
「これって明治時代の詩ですよね。延王はだれに聞いたんですか?」
        
         
「・・・・・・」
 ――以前、馴染みの妓女に聞いた気がするが。
「・・・・・・」
 ――せめて『いつ聞いたのか』と聞くべきだったか。
        
         
         
 気まずい沈黙が堂室に満ち、
二人揃ってぎこちなく、窓の外に目を遣った。
          
          
           
          
「――過ぎ去った故郷を恋い慕うか」
 密やかな延王の問いかけに、陽子は思わず延王を振り返り、真剣な男の目を見つめたまま、首を横に振った。
「いえ、私の帰る場所はここですから。・・・・・・そうですね、でも」
 言葉を切って、窓の外に目を戻す。
「木の葉から落ちる雫を見るのが、好きでしたし・・・。いつも整った箱庭のような宮にばかりいると、こんな雨や――風や雪が、懐かしくなります」
 雨や雪――自然の力を感じられる瞬間が。
「巷の雨が民の涙なら、雨や雪も、民と心を同じくする為には王にとって大切なものな筈なのに。いつも晴れた雲の上にばかり居てはいつの間にか心まで民から遠くなっていくような気がして、時々怖くなる・・・」
 呟くように言った陽子に、尚隆が優しく返した。
「だからこうして、時々微行する?」
「――ということに、しておいてください」
 尚隆を悪戯っぽく振り向いた陽子が澄まして言うと、尚隆が声を上げて闊達に笑った。
そして、包み込むような笑顔になり、
「慶の雨は、随分優しくなったな」
「優しく、ですか?」
 陽子の問に、ゆったりと頷く。
「荒れた国では、見られない雨だ」
         
        
              
 二人で暫く、玻璃の向こうを落ちる雨を見ていた。
少し強めの雨を背景に、玻璃に浮かんだ雨粒がゆっくりと滑る。
        
        
          
「『雨だれ』という曲があって」
 窓の外に目を向けたまま、ぽつりと陽子が口を開いた。
「ピアノの曲なんですが、とても優しくて綺麗な曲で、大好きでした。そう簡単な曲ではなかったけど、弾けるようになりたくて一所懸命練習したんです。だから、弾けるようになった時、とても嬉しくて――・・・」
 もう、あの優しい曲を弾くことは出来ないけれど。
         
         
 ふと遠くを見る目になった陽子に、尚隆が優しく訊いた。
「ピアノ、とか言ったか。それはどんな楽器なのだ」
「打楽器の一種です。鍵盤を叩いて音を出すんですが、弦を通して振動が伝わって、木の箱から音が出るんです」
 音楽の授業で受けた説明を思い返し、間違ってなければいいが、と思いつつ説明する。
「ふむ。氾のやつが珍しいもの好きだからな、相談すればこちらの技術でも作れる方法を教えてくれるかもしれん」
「氾王に?」
 目を丸くした陽子に、悪戯っぽい尚隆の笑みが返って来た。
「ああ。俺にはタダじゃ教えんだろうが、お前の相談になら喜んで乗るだろうよ」
 確かに氾王ならば、一緒に考えてくれるかもしれないが――。
「近い材料が揃えば、出来んものでもあるまい。木の他に何を使うんだ?」
「ええと、象牙とか、弦とか――多分、そんなところだと」
(家のピアノをもっと良く見ておけばよかった・・・・)
 そう思いながら、うろ覚えの記憶を告げる。こういう時、自分の生まれ故郷について、判っているつもりで何も判っていなかったことを痛感する。身の回りの物事も、慣れ親しんだつもりであっても、改めて説明しようとすると、このように案外覚えていないものだ。
         
         
 尚隆はふむふむと頷いて、五百年王国の王らしく、何でもない事のように明るく言った。
「全く無理という訳でも無さそうだ。うまくいけば、慶の特産品になるかもしれんぞ。どうせ時間はうんざりする程あるんだから、根気強く取り組めばいつかは出来る。頑張って開発してみろ」
「ええ――・・・」
 だが、氾の技術者の知恵を借りるなどという贅沢は、まだ慶には不可能だ。
そんな陽子の思いを読み取ったかのように、尚隆が笑った。
「出来たら弾いて聴かせるから、とでも言うといい。出世払いにしてくれるさ」
「そ、そんな!」
 あの氾王の気に入るような演奏ができるとはとても思えないと、慌てて首を横に振る。
           
            
            
 だが、考えてみると。
こちらでピアノを作るというのは、とてもいい思いつきのような気がする。
            
「ええ・・・そうですね。こちらのピアノの音を、聞いてみたいです」
 向こうで聞いたピアノは、華やかで洗練された音がした。
だが、自然とともに生きる常世で生まれるピアノなら、素朴で優しい音になるに違いない。
誰もが顔を綻ばせて聴き入るような、そんな音に。
 そういうピアノを心穏やかに奏でれば、前よりももっと優しい『雨だれ』になりそうな気がする。
緑の葉を優しく包み込み、ゆっくりと大地に落ちて染み入る――こちらの雨のような音楽に。
            
「いつか、聴かせてくれるか」
「はい」
 穏やかに微笑みあって、もう一度玻璃の向こうを見遣った。
         
           
            
 見事に茂った木の葉から滑り落ちた大粒の雫が、眼下の甍にぽとりと落ちる。
心地よい沈黙に包まれながら、瓦屋根と雨が奏でる優しい雨だれの音に、二人で耳を澄ませた。
            
            
             
作中の詩は 『ヴェルレーヌ詩集』 収録
「無言の恋歌 忘れた小曲 その三」
ポール=ヴェルレーヌ・著 堀口大學・訳 (新潮文庫刊)
より引用・抜粋致しました
 
             

我慢大会の次は墓穴掘り(笑)。相変わらずうちの尚隆は、幸せなんだか可哀想なんだか際どい扱いです。いつか呪われるかも?でもでも、頑張ってピアノ作って西洋音楽を弾いてあげても、歓ぶのは高里くんかせいぜい鈴くらいかも(苦笑)。尚隆は昔の人なので、音階自体が違うからなあ。ユンディ=リ君がピアノで中国民謡を弾いていたので、ピアノで常世の曲♪もイケると思うんですが。
件の詩は、『太陽と月に背いて』で有名な(チガウ)ヴェルレーヌさんの詩でございます。ランボーとの恋の終わりを嘆いた詩・・・だったかな。やっぱりちょっとアヤシイ選択・・・。
葉っぱや軒から流れる白糸の美しさに、かつて室生寺で見惚れ〜♪先日たまたま見かけた、大降りの雨を背景に窓ガラスをゆっくり滑る雨粒は、少し不思議な光景で、とても綺麗でした。雨って、綺麗な光景がいっぱい見られて好きです(*^^*)
皆様は、雨の音楽というと、何を思い浮かべますか?
             
         
         
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