薔薇の素顔
    
        
        
「まだ来んのか、あいつは!」
          
 玄英宮名物・地官長帷湍の怒鳴り声が執務室に響いた。
他の面々も慣れたもの、動揺する者などこの場に居る筈もなく、皆淡々と自分の務めを果たしている。
「そのようですね」
 王に渡す書類を再点検しながら朱衡が言う傍らで、成笙が六太に尋ねた。
「陽子様のところにおられるのか?」
 少女は現在玄英宮に滞在中で、朝議の後、陽子と一緒に昼食を取っていた筈だ。だが、六太は首を横に振った。
「いや、違う。玄英宮の中じゃないぜ」
「遂に脱走か・・・・・・」
 成笙が溜息をついた。
ここ数日、『陽子が来ているというのに、何で仕事なんぞ』とぶつぶつ言っては冷たい目で睨まれながらも、緊急の件とあって真面目に仕事をしていた。だが、それもいい加減飽きたのか。
「しかし変ですね。陽子様がいらしているのに政務をサボるとは」
 朱衡がふと手を止めて呟くと、六太もうんうんと頷いた。
「陽子の前じゃ真面目な振りすんのになー」
 尚隆の脱走癖は陽子も承知なのだから、今更見栄を張っても仕方なかろうと思うのだが。
「・・・・・・あ。帰ってきた」
 六太の呟きに、三臣のこめかみがぴくりと引き攣った。
          
        
        
          
「待たせたな」
 暫く後、尚隆が扉を勢いよく開けた途端、
「遅いっ!貴様、どこに行っておったんだっ!」
「脱け出すのならそう言ってください!我々は貴方と違って忙しいんです!!」
「子供じゃあるまいし、足で扉を開けるな!」
 すかさず三臣の怒声が飛んだ。順番に・切れ目無く叫ぶのは、六百年の間に体得した技である。
         
        
 そして。
         
         
「・・・・・・尚隆様・・・・・・?」
 朱衡が呆然と呟いた。
他の面々も、あんぐりと口を開けて王を凝視している。
         
          
 尚隆が、大きな紅薔薇の花束を抱えていたのだ。
          
       
 あまりの珍事に説教も忘れて唖然と眺める三臣をよそに、堂室を悠々と横切ると、よっこいしょ、と花束の陰から鉢を二鉢取り出して室の隅に置いた。辿り着く前に申し付けたのか、女官が花瓶を持って入ってくる。
たっぷりと水の入った大きな花瓶を受け取ると、どんっと執務机の上に置いた。そして大切そうに花を生ける。――もっとも、大切そうな手つきの割に、形を整えるのは大雑把だったが・・・・・・
     
      
 漸く自失から回復した六太が、不思議そうに訊いた。
「あれ?陽子にやるんじゃねえの?」
「いや、これはここに飾るのだ」
 妙に得意げな顔で言う。
「でも、ここに置いたって誰も見ないんじゃ・・・・・・」
 六太が漏らした正直な呟きを耳にし、白沢が慌ててフォローした。
「まこと、見事な薔薇ですな」
「本当に。主上もたまには揉め事以外のものを持ち込まれるのですね。
――ところで、慶国の薔薇は、如何されておいでですか?」
 笑顔でさり気なく厭味を言っておいて、朱衡が穏やかに主に訊ねる。誇り高く優美な紅の薔薇は、艶やかで、それでいてどこか柔らかで。その色と姿は、玄英宮に滞在中の隣国の女王を思い起こさせた。
       
「俺が仕事をしているのに自分だけ遊んでいるのは申し訳ないと、色々と勉強しておるようだ。――折角休暇に来たのにな」
 尚隆が腕を組みながらぼそりと呟くと、朱衡が整った笑みを返してきた。
「そうですね。本当に陽子様『には』申し訳ないことを致しました」
「・・・・・・・・・・・・」
「おい、まさかその花・・・・・・盗ってきたんじゃあるまいな」
 遅まきながら衝撃から立ち直った帷湍の言葉に、朱衡と成笙が顔色を変える。主を全く信用していないらしい三人の様子に、尚隆は憮然とした。
「失礼な。これは、市場で買ってきたのだ」
       
      
     
        
 と、堂室の扉が開き、入口に控えていた大僕が恭しく道を開けた。
 入って来たのは、紅の髪も鮮やかな、美しい少女。
            
「おお・・・・・・これは、陽子様」
 今日の彼女は、上になる程色味は深く生地は薄くなる紅の衣が、春らしく軽やかで美しい。軽く結い上げて背に流した髪と白い紗に金糸の刺繍の裳が少女らしさを引きたてながらも、華やかで上品な装いに仕上がっている――まさに、卓に生けられた紅薔薇のごとくに。
「すみません、お邪魔します」
 少女が軽くお辞儀をすると、艶やかな髪がさらりと流れた。
            
「毎日遅くまでお疲れ様です。お茶を淹れますから、少し息抜きしませんか?」
 陽子は、茶器一式を台車で運んできたのだった。
浩瀚、祥瓊、鈴――側仕えの者達が女王を溺愛する慶では『お茶休憩』は日常茶飯事なので、陽子はごく当たり前のこととして提案した。だが、五百年ものあいだ男所帯を貫いた雁では、
「ありがとうございます!我々にまでそのように気を遣ってくださるとは・・・!」
と、言い出した陽子が驚くほど感激された。
 茶器を温めていた湯を捨てて、茶葉と湯を入れる。茶葉が綺麗に開いた頃合をみて茶漉しを据え、小さな器に注いでいった。手際のよさに感心する尚隆と六太に
「お疲れ様」
 と笑顔で渡し、白沢・朱衡・帷湍・成笙にもふるまう。さらに、部屋の隅に控えていた大僕にはい、と茶器を手渡そうとすると、大男が硬直して、顔色を伺うかのように王を恐る恐る見遣った。尚隆が苦笑しながら「折角だから、もらっておけ」と言い、彼は大層恐縮しながら恭しく受け取ったのだった。
        
        
        
「これが、昨夜言ってた海客が作った薔薇?」
 陽子が執務机に歩み寄り、尚隆に向けて微笑みながら言うのを聞いて、皆は執務室に薔薇を置いた理由を納得した。
       
(釣り餌か・・・・・・)
        
僅かな時間しか会えないのが、余程不満なのだろう。
「ああ。見事だろう」
 そっと花に手をあてて顔を寄せる。美しい顔を紅の花びらに埋めるようにして香りを楽しみ、
「ほんとに綺麗・・・・・・」
 うっとりと呟いて、尚隆の方を向いた。
「随分沢山買ってきてくれたんですね。ありがとう、尚隆」
 微笑む美少女というのは、そこに居るだけで場を明るくするものだ。
まさに、いつもは殺風景な執務室に咲いた一対の紅薔薇。華やかな薔薇の花束と美しい笑顔に、一同は見惚れ、顔を綻ばせた。
       
「陽子」
 尚隆が手を差し伸べると、素直に歩み寄ってきてちょこんと隣に腰掛ける。さり気なく肩を抱き寄せると、薔薇を見つめながら目を細めて呟いた。
「深みがあって上品で、いい色ですね」
「熱情という名なのだそうだ。苗も買ってきたから、うちに植えてはどうだ」
 そら、と堂室の隅に置いた二つの鉢を指すと、
「いいの?」
 尚隆を見上げて、ぱあっと顔を輝かせる。
「勿論だ。北宮の花苑は、お前のものなのだから好きにしてくれと言ったろう?正寝の花苑も、他の者は心を配らぬのでな。植えたい花があれば植えていい」
「ありがとう!大切にする。じゃあ、早速、泉岳さんに相談してみるね」
 陽子の言葉に、皆が驚いたように少女を見た。
「泉岳というと、うちの庭師のですか?」
「ええ。相談するのは、彼にでいいんですよね」
「ええ・・・・・・」
 景女王が気さくなのは承知していたが、他国の庭師とまで懇意にしているとは・・・・・・。
尚隆は、陽子らしいな、と笑いながら言った。
「漸く花を楽しむ人が来てくれたと、庭師達が喜ぶだろう。どんどん植えてやってくれ」
      
 雁の花苑は主が『花?どうせ誰も見やせんのだ。構わんから放っておけ』と五百年間言い続けた結果、
「おや、ここは花苑だったのかえ。私はてっきり、猿王が植木屋など始めたのかと思ったよ。殺風景なのが好きならば、いっそ畑にでもしてしまってはどうだろうね」
 と氾王から厭味を言われる状態に成り果ててしまったのである。
陽子の申し出は、これまで半分も腕が奮えなかった庭師達に、さぞ歓迎されることだろう。
          
          
「一緒に、月光とかいうのも売られていたな」
「へえ・・・・・・『熱情』と『月光』かあ。ソナタみたいだね」
「そちらは淡い黄色をしていたぞ」
 美しい笑顔に御満悦で続けた尚隆の言葉に、白沢が何の気なしに相槌を打った。
「まさに、陽子様と景台輔の如しですな」
 その瞬間、尚隆の頬が僅かに引き攣る。目敏く見つけた六太が
「両方土産にすれば、金波宮の奴らが喜ぶんじゃないか?」
 さり気さを装ってからかい混じりに提案すれば、朱衡がにこやかに同意する。
「そうですね。――そちらは買っていらっしゃらなかったのですか?」
「・・・・・・」
 理由を承知のうえで言っているに違いない朱衡の問いに、僅かに眉をしかめた。
          
 誰が他の男――しかも彼女の半身――を連想させるような花など買うものか。
        
 尚隆は、心の中でぼそりと呟いた。ただでさえ、自分は側にいられないのに、景麒は彼女の半身ということで常に傍らに控えているのだ。このうえ花苑でまで並んで咲き誇られては、面白くないに決まっている。
         
 陽子のこととなると僅かとはいえ感情を表に出してしまう尚隆に男達は苦笑したが、
「それは無理ですよ」
 陽子は至って無邪気に言った。
「これだけ大きな花束に、苗ふた鉢でしょう?花って持ち歩くのに結構気を遣うし、一度にこれ以上買うのは無理じゃないかな」
 尚隆の真意には欠片も気づかず愛らしく首を傾げてそう言うと、尚隆を見上げて嬉しそうに笑った。
「持って帰るの大変だったでしょう?本当にありがとう」
「いや・・・・・・」
 理由を言うに言えなくて、言葉を濁しつつ小さな頭を撫でてやる。と、陽子がぽん、と手を打った。
「そうだ。折角だから、貴方の好きな花も一緒に植えましょう。何が好き?」
「俺は花のことは知らんからな・・・・・・」
「え?そうなの?花の名所をよく知ってるなあって思ってたのに」
 長い睫を瞬かせて尚隆を覗き込む陽子に、彼女と出会う前の男を良く知る面々は、顔を見合わせてくすりと笑いあった。
        
        
 それは、花見に連れて行くと陽子が喜ぶからだ。
         
 実は、以前の彼は、誰もが知っている花くらいしか認識していなかった。花に詳しくなったのは、陽子のために慶や雁の花の名所を頑張って調べたからだ。
休みの時くらい外の空気を思い切り吸わせてやりたいし、どうせなら好きな花を満喫させるのが良かろうと、そう思って。満開の時期を外すと侘しいので、開花情報もこまめに収集する。
 花に見惚れている陽子は気づいていないが、花見に行っても尚隆は、概ね花ではなく喜ぶ陽子を見ているのである。
     
    
「陽子様、今夜には尚隆様をお返しできますので」
「明日からは、思う存分お二人でごゆっくりなさってください」
 朱衡と白沢が穏やかに言う。
「はい」
 陽子は思わず嬉しそうに頷いてから、しまった、という顔をした。
「・・・・・・すみません」
 二人は、苦笑して首を振った。
「謝るのはこちらの方です」
「折角休暇でお越しになられてますのに、尚隆様をお借りしてしまって、申し訳ありません」
 休暇中の主を働かせることに対しては『普段のツケを払わせる』位にしか思っていない彼らも、遠路はるばるやって来た陽子から二人の時間を奪っているのは、申し訳なさでいっぱいなのだ。
 だが、陽子は静かに首を振った。
「でも、食事や朝晩は一緒にいられて、ゆっくり話せましたから。それだけでも、来てよかったと思うので・・・・・・尚隆や皆さんには、忙しい中気を遣わせて申し訳ないですけれど」
 隣国とはいえ、そうしょっ中一緒にいられる訳ではない。たまに二人で過ごす時くらい一日中でも一緒にいたかったであろうに、少女はそう言って穏やかに微笑む。
気遣い溢れる言葉に、流石は女王と、皆はしみじみ感じ入った。
     
     
        
 暫く和やかに談笑した後、
「じゃあ、そろそろ失礼しますね」
 と、陽子が立ち上がった。皆から茶器を受け取って扉まで台車を押して行き、
「頑張ってくださいね」
 花のような笑顔で礼をする。
 皆は美少女に激励されて「はい!」と笑顔で頷いたが、
「――俺にもそれだけか?」
 不満げに言った尚隆に、きょとんと首を傾げた。
「?・・・・・・お酒はまだ、早いでしょう?」
            
 尚隆は、陽子の返事に一瞬考え込んだ後、勢いよく立ち上がった。驚いて見つめる陽子の傍らにすたすた歩み寄ると、自分の上衣をふわりとかけてやる。
「雁は慶より寒いからな。その格好では風邪をひくぞ」
 言いながら、艶やかな髪を何度も梳く。
「ありがとう。――お仕事頑張ってね」
 陽子が背伸びをして軽く頬に口づけると、尚隆は満足そうな笑顔で華奢な肢体を抱きしめた。
         
「それが狙いか・・・・・・」
「唇じゃないのが少し残念って顔だな」
「贅沢ですねえ」
「まったくだ」
 小声で囁きあう六太と三臣の会話を聞き流しながら、滑らかな頬に『お返し』とばかりに口づける。
       
          
 尚隆の体からぴょこんと顔を出し、陽子が明るい声で言った。
「朱衡さん、仕事が終わる四半刻前に連絡してもらえませんか?」
「承知致しました」
「お願いしますね」
 にこっと笑う陽子を覗き込んで、優しく問う。
「どうした?」
「迎えに来るから、その時に返すね」
 陽子は、これ、と上着を手で示した。
「迎えに?衣を返すのなら女官に頼めば良いのに」
「うーん、実は一度やってみたかったというか・・・・・・。あっちにいた頃ね、学校帰りに駅とかで彼氏と待ち合わせするのに、憧れてたの」
 家も学校も厳しくて、そんなこととても出来なかったからね、
と少し照れた表情であどけなく笑う。
「そうか」
 目を細めて小さな頭を優しく撫でた。大きな掌に肩を抱かれて柔らかく微笑みながら、
「出る時に、お酒用意してもらうようお願いしておくから」
「それは楽しみだ。風邪ひかないよう暖かくして来るんだぞ」
 そう言って、尚隆はやさしく額に口づけた。
「じゃあ、今度こそお邪魔しました」
 ぺこりとお辞儀をする無邪気な仕草に、一同は思わず微笑んだ。
回廊を歩いていく陽子を、尚隆は扉に凭れて見守る。角を曲がる時にこちらを振り向きひらひらと手を振った陽子に、更に笑みを深くしてゆったりと手を振り返した。
        
        
 卓に戻って来た尚隆に、朱衡が語りかけた。
「尚隆様」
「何だ?」
「箱入りの純真なお嬢様を誑かしてるような気になりませんか?」
「・・・・・・時折な」
 本気で惚れているのに、ふとした折に感慨がよぎる。
      
 百年以上生き、艶やかな大輪の華に成長しても、陽子は恋愛の駆け引きなど思いも寄らない。
だから例えばこんな風に、一緒にいたいと素直に言えなくて呼び寄せる為に手管を使ったりすると、自分が狡い年寄りになったような気がするのだ。
 苦笑した王を、白沢が柔らかく微笑んで慰めた。
「慶国の皆様に、とても大切にされておられるのでしょう」
 だから、王がそんな風に気にすることはないのだ、と。
         
 咲き誇る紅薔薇の美を備えながら、素顔は無邪気で素直な少女。周りに向ける暖かな言動やさり気ない気配りをみても、周囲からどれ程愛情を注がれているかが偲ばれるというものだ。
           
「おう。そりゃもう愛されてるぞぉ。な?尚隆」
「御蔭で俺は、連中からしょっちゅう怒られてる」
「それはお前が無茶ばかりするからだろう」
 帷湍の言に、成笙が黙って頷いた。
否定せずに肩を竦める王に、堂室に暖かな苦笑が満ちる。
       
        
       
        
      
 終わりが見えると、俄然やる気が出てくるもの。まして、ご褒美は陽子との甘い夜である。
 尚隆が、左手に御璽、右手に筆を掴んで声を張った。
「おい、どんどん書類を持ってこい」
 堂室が一瞬静まり返る。
        
 ややあって、朱衡が恭しく書面を手渡した。
「では、こちらからお願い致します」
「うむ」
 朱衡が渡す順に書類を重ねながら、ふと思い立ったように、尚隆へにこやかに告げた。
「明日は下に降りられない方が宜しいですよ」
 早速書類を広げ、読み下しながら聞く。
「何故だ?」
「おそらく嵐か大雨でしょうから」
「言えてるな!」
 さらりと告げられた言葉に六太と帷湍は遠慮なく爆笑し、成笙と白沢は肩を震わせて笑いを堪えている。尚隆は思わずむっとした顔になり、御璽を書面にぐりぐり押し付けると、
「次!」
 と思い切り手を突き出したのだった。

「真昼の夢」様10万ヒット&一周年のお祝いの捧げもの。
お祝いには花束よね!・・・ということで薔薇を御題にしてみたのですが・・・あれ?なんかおとなしめのほのぼのになってしまったような(汗)。
題材に使った熱情はミスター・ローズこと鈴木省三氏が、月光は京成バラ園が生み出した実在の薔薇です。自前写真にリンク貼ってみました★
どちらも大輪・四季咲きでとっても綺麗なんですよ〜vv月光、形的には景麒っぽくないんですが(笑)。陽子にはやはり、熱情やクリスチャン・ディオール、クリムゾン・グローリーといったものが似合うのではないかと♪どれも色に深みがあって華やかな、気品ある紅薔薇なのですv

         
         
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