闇燈す灯り
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 ひと月ぶりに金波宮に戻ってくると、出て行った時と同じように、禁門にずらりと皆が並んでいた。
        
「ただいま!」
     
       
       
 弾むような笑顔で告げて騎獣からふわりと降り立つと、途端に仲間たちに取り囲まれる。
「お帰り、陽子!」
「お帰りなさい」
「うん、ただいま」
 真っ先に声をかけた祥瓊と鈴に頷いてみせて、にぎやかな一団から一歩下がっていた浩瀚達に目を遣ると、皆嬉しそうに目を綻ばせて頭を下げた。
「お帰りなさいませ」
「居ない間、何か変わったことは?」
「特にございませんでしたので、明日ご報告致します」
「お疲れでしょうから、今日までごゆっくり御休みください」
 浩瀚と景麒が穏やかに告げると、陽子が「ありがとう。お言葉に甘えさせてもらうよ」とにっこり笑い返す。
       
         
「まったくもうこの子は、出てる間連絡のひとつも寄越さないで。皆心配して待ってたんだからね」
「そうそう」
 祥瓊が文句を言うと、隣で鈴もうんうんと頷く。
「ごめん」
「心配料として、暫くはおとなしく世話を焼かれてあげてちょうだい」
 百年経っても着飾るのが苦手な陽子は、観念した表情で苦笑した。
六太に向って、明るい笑顔で訊ねる。
「お二人とも、泊まっていってくださるのでしょう?」
「うん」
 その応えに、陽子が嬉しそうに微笑んだのを見て、鈴がさらに楽しい言葉を告げる。
「厨房に、ご馳走作るよう言っておくわね。料理長がまた新しい料理を考えついたとかで、腕まくりして待ってるわよ」
「新作かあ。ここの厨房は腕いいもんな。楽しみ!」
「六太君も、たくさん食べてね」
 祥瓊が、陽子の肩をぽんと叩いて笑顔で提案した。
「立ち話もなんだから、まず、部屋でお茶にしましょう。お土産話を聞かせて?」
「蘭桂が、綺麗な花を見つけてきて、部屋に飾ってくれてるのよ」
 鈴の言葉に、女性陣の後ろを控えめに歩いていた蘭桂を振り返って微笑んだ。
「ありがとう。蘭桂は花を見立てるのが上手だから、楽しみだな」
「もう、市場じゃ春の花が盛りだよ。宮はあと少しってとこだけど」
 蘭桂が、子どもの頃と同じ、陽だまりのような笑顔で答える。
「じゃあ、満開になったら花見でもするか」
「俺!俺も呼んでくれよな陽子!」
       
 にぎやかな集団に取り囲まれて連れ去られようとしていた陽子が、足を止めて延王の方を振り返る。と、延王は浩瀚と景麒をちらりと見て言った。
「浩瀚達と話があるから、先に行っていてくれ」
「はい」
      
        
        
 明るい声を響かせながら去っていく集団を眺めて、延王が微笑みの滲む声音で呟いた。
「慶はいつも華やかで明るくて、気が晴れるな」
 景麒と浩瀚が、揃って深々と頭を下げる。
「――ありがとうございました」
 延王は二人を振り返り、面をあげさせた。
「頑張ったのは陽子だ。俺達は何もしとらんぞ」
「いえ――いいえ」
 さり気なく、陽子を見守って導いてくれていたのだろう。
        
        
「十分判っていたつもりだったが――やはり、陽子は強いな」
 景麒が端正に首を傾げる。
「ついに西を見ることが無かった」
 西――蓬山の方角を。
「あれなら、どんな穴に落ちても這い上がろうとするだろう。頼もしい女王で良かったな」
 延王は、そう言って心底嬉しそうな、快活な笑顔を浮かべた。
         
         
         
        
         
         
 夜も更けた頃。
浩瀚が執務室に明朝の準備を整えにいくと、陽子が机に置かれた書類を捲っていた。
「今日はごゆっくりなさってください、と申し上げましたのに」
 元気を取り戻した途端に無理をする女王を、苦笑しながら嗜める。陽子は悪戯を見つかった子どものような表情で、ぺろりと舌を出した。
「うん・・・・・・何となくね」
 それでもぱたんと書類を閉じ、椅子に凭れかかって机の片隅に目を遣る。
常よりやや暗い堂室のなかで、蘭桂が花瓶に生けておいてくれた木蓮が灯火をうけ、それ自身が光を放っているかのように見えて陽子はふわりと微笑んだ。白く暖く、ほのかに輝くその姿は、昔蓬莱で馴染んだ、丸い電球のようだと思う。丸みをおびた、優しげな姿。闇を照らし、心和ませる暖かな白。
「もう、木蓮の季節なんだね」
       
             
私室には、数多の友人達が談笑する場に相応しい、色とりどりの華やかな花々を。
執務室には、ふと視線を向けると疲れを癒してくれる、淡く優しい色の木の花を。 

               
 蘭桂らしい細やかでさり気ない心遣いだなと、陽子は目を細めた。
 浩瀚が静かに机に歩み寄り、文箱から二つの書信を取り出した。
「主上が御不在の間、範と奏から書信が参りました」
「どんな?」
「奏よりは宗王御夫妻と公主が、『慶の学制改革について色々とお伺いしたいので、ご足労願えないだろうか』と。範よりは王と台輔が、『木材の新しい加工法を見せたいので、都合が良ければ来てもらえぬか』と仰って来られました」
 言いながら陽子にそれらの書信を手渡すと、嬉しいような申し訳ないような、複雑な顔で浩瀚を眺める。
「――が、実のところは御二方とも、『息抜きに遊びにおいで』というお誘いでございましょう」
「うん・・・・・・」
        
       
 丁寧に綴られた二つの書信を読みながら、
 この壁にぶつかったのは自分だけではないのだ、と陽子は改めて思った。
 文字を追いながら陽子のなかに生まれたのは、
 わかってくれる人がいるという安心感と、壁を乗り越えた強さへの敬意。
 自分より遥かに長く国を治めてきた人達の労わりが、心を温める。
 自分もいつかそんな風に、後を歩む誰かを包んであげられるようになりたい。
       
 ――そう思えるようになっただけでも、
    悩んでいた時間は無駄ではなかったのかもしれない――・・・。
         
          
          
「休んじゃった分、仕事が溜まってるからなあ。少し後にお邪魔させてもらおう」
「それが宜しいでしょう」
 浩瀚は微笑んで答えた後、笑みを深めて続けた。
「延王が先程、こう仰っていました。『これで景王も一人前だな』と」
             
「・・・・・・隣国どころか反対側の国にまで、心配かけてるのに?」
 苦笑しながら言った陽子に、穏やかに首を振った。
「『玉座は、ただひたすらに進むだけで支え続けられるほど、単純なものでも短い時間でもない』と」
        
      
      
『陽子が悩んでいる、と?――それで良いのだ』
      
        
浩瀚が延王に最初に相談した時。
六百年の治世を敷く王は、そう言って太く笑んだ。
       
『このまま玉座に在り続けるのかと疑問を持ち、己で答えを出せてはじめて、長きに渡って国を支え続ける王になれるのだからな』
 さらりと。
まるで、当たり前の事であるかのように、彼の王は言った。
      
           
             
「政務をこなせるようになるのは、――或いは国を復興させるだけならば、ある程度時間をかければ出来ることです。もっとも、そこまでいく事も、並大抵では叶いませんが」
そして、それを見事成し遂げた陽子に敬意を払うように、一礼した。
「ですが」
 そう言って、表情を厳しいものに改める。
「それから先に進めるか否かは、自分次第です」
           
荒れた国の復興も、円滑な政務も、ある意味判りやすい目標だ。
それを達したその後も、さらに国を支え続けるのか否か。
命を無くすとはいえ、王はその時点で既に十分な時間を生きている。そこで満足して、国を荒らす前に退位するという選択肢もあるのだから。
             
「主上。これからの国の在り方として、これまでの成果を守り強化していくことに専念することと、さらに別の道を模索することと、どちらが正しいとお考えですか?」
 真面目に考え込んだ陽子に笑いかけて、さらりと告げた。
「どちらも正しく、どちらを進むことも出来ると、私は思います。――けれど、2つの行く末は大きく違う」
「浩瀚・・・・・・」
              
「このように、これから慶が歩む道は、選択肢は多くあるうえ、標も正解もない道です。それは、一見なだらかに見えても、これまでよりも遥かに険しく長く――貴女は数百万の民と国土を背負いながら、無数の道から行く先を選び、進まなければならない」
 陽子は、神妙な顔をして聞いていた。
「その段階に足を踏み入れ、長く歩んでいくならば、これまで以上に、遥か先を見通し将来を描く力と、実現する為の努力が要求されます。そのためには、玉座に『在り続ける』という覚悟と、国と自分とがうまく折り合っていける適切な距離感が要る。――延王は、そのことを仰っていたのでしょう」
「距離感?」
「例え望んで始めたことでも、良い時期ばかりが続く訳ではございません。悪い方にばかり転がっているように思える時も、それ自体が嫌になることもある。渦中にいると、それで全てが駄目になるような心持になるものですが、そこで一歩引いて『何事にも波があるものなのだ』と呑んでかかれるようにならなくては、到底長くは続けられぬのです」
         
           
 暫く沈黙した後、陽子がぽつりと呟いた。
「これまでは短距離走、これからは持久走ってことか・・・・・・」
 浩瀚は、笑って頷いた。
「時間をかけて、貴女と慶の『在り方』を見極めていきましょう。できるだけ長く、走れるように」
       
        
 これから先は、ゆっくりであっても長く走れれば、それで良いのです。
            
 もう、民が、災厄や飢餓や圧政に苦しむことは無いのだから。
 貴女の愛する民達は、貴女の願いどおりに。
 自然に恵まれた豊かなこの国で、
 あまねく降り注ぐ陽光のもと、
 前を向いて毅然と生きているのだから。
         
          
 口に出さない浩瀚の言葉を、陽子は目を閉じて噛みしめる。
その様子を、浩瀚は微笑を湛えて見つめていた。
     
         
 迷い、立ち止まったとき。
何を掴み、どういう道を選ぶかは、自分次第だ。
この女王は、躓いてもそれを糧にし、誰よりも高く飛翔するだけの、しなやかな強さと聡明さを持っている。
         
 だから、大丈夫だ。
         
        
          
        
        
 陽子が瞳を開けるのを待って、浩瀚は柔らかく訊ねた。
「お休みの間、何かお考えは浮かびましたか?」
「うん!」
 頷きにあわせて紅の絹がふわりと揺れ、碧の瞳が宝石のように輝く。それは、久しぶりに見る、嬉しそうな笑顔だった。
「一旦離れてみると、案外色々なことが見えるでしょう。煮詰まった時は、距離と時間をおいて、冷静に眺めることも効果がありますから」
「うん。ほんとにそうだ」
 重い衣を脱ぎ捨てたかのように、晴れやかに陽子が言う。
「――ですが、延王のように王宮を離れてばかり、では皆が拗ねますよ。台輔をはじめとして、皆、寂しそうにしておりましたから」
「わかった」
         
    
       
          
       
 陽子は、ひとしきり嬉しそうにくすぐったそうに笑うと、笑いを納めた。
組んだ掌に顎を乗せ、王の微笑みを浮かべながら浩瀚を見上げてくる。
 浩瀚は、居住いを正した。
「さて」
      
 凛と響く、女王の声。
       
「冢宰にまた、ひと働きしてもらわねばならない」
 悪戯を思いついた子供のような笑顔。
 力強い、真っ直ぐな瞳。
     
      
    
 こういう時、この女王は自分には思いもよらない素晴らしい道を示してくれることを、浩瀚は知っている。
       
「貴女の御望みとあらば――どのような困難も越えてみせましょう」
 女王の目を見つめ返しながら、明確な声で誓う。
誇り高きこの男が心酔するただ一人の存在に、深く頭を下げた。
       
       
        
 その夜、執務室にはいつまでも灯りが燈っていた。
 ――先の見えない闇の中、行く手を照らす光のように。
        
         

お礼の割に長く重い話におつきあいいただき、ありがとうございましたm(_ _)m
2年目の1年間、サイトとしても個人的にも、本当に色々ありました。
何度も立ち止まった私を、暖かく見守ってくださった皆様への感謝の印として、「スランプにお悩みの貴方へ」を副題に(笑)、このあばら家を訪れて下さる方がこの先ピンチに迷ったときに、この話が少しでも希望になればと思いながら書きました。
本当は、諸々の件で一番印象に残ったのは、「前に踏み出せた事自体が立派な収穫なんだし、今の自分があるのは今までの経験があるからなんだ。今までの事も無駄って訳じゃないよ。もう充分、頑張ったよ」という友達の言葉なのですが、十二国記の場合、それだと話の方向性が・・・(^_^;)。
なので、陽子には同じ道を歩き続けてもらうことにしましたが、貴方の出した結論が、例え「挫折」というか「違う道」であったとしても。自分にとってより良い道なら、それがbetterなのだと思います。
         
――既に2月になりましたが、今年1年が皆様にとって、幸と実り多き年でありますように――

       
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