闇燈す灯り
<3>
        
        
 木の下で雨宿りをしていると、六太が優しく手を握ってくれた。
「寒くないか?」
「ええ」
 にっこり頷いてから、ふと思いついて言った。
         
「――六太君こそ、寒くない?大丈夫?」
 いつも気遣われてばかりで、こんな言葉を返したのさえ、久しぶりな気がする。
塞ぎこむ前までは、当たり前だった言葉なのに――。
        
「・・・・・・ありがと」
 一瞬の間の後、僅かに潤んだ声で、六太が笑った。
「麒麟って獣だから、寒さに強いんだ。だから大丈夫だよ」
 そう、明るく返す。
「でも、薄着だし・・・。そうだ。これなら暖かいでしょう?」
 外套で六太の体をくるみ込むと、照れながらも華奢な体が凭れかかってきた。
「・・・うん」
 耳を赤く染めながらも、六太が陽子の腕をきゅっと抱く。
陽子は、雨に濡れながら遠くを見遣る男を気遣わしげに見つめた。
「延王、大丈夫でしょうか」
「んん〜?あいつなら、とらとたまに踏まれても怪我しなさそうなくらい頑丈なヤツだから、平気平気」
 彼の半身はというと、至って気楽にそう言って、尚隆に向って声を張り上げる。
「尚隆!」
「なんだ?」
 こちらを向いた尚隆に、にやにや笑いながら自慢する。
「ほーら、いいだろー、羨ましいだろー」
      
「・・・このガキ、抜け駆けを・・・」
 陽子の声と同じく良く透る尚隆の声は、呟きであっても二人の耳にしっかり届く。陽子と六太は、顔を見合わせてくすりと笑った。そんな二人の様子に、尚隆はさらに拗ねる。
「お前は馬車に乗せてやらん。独りで宿まで来い」
「あ、ひでえ。麒麟虐待だぞ、それって!」
「主をないがしろにした罰だ」
「そういう寝言は、もっと主らしくなってから言え」
 言いあいをはじめた主従を宥めようと、陽子が慌てて仲裁に入る。
「あの、でも、延王は背が高いから、これでは丈が足りないでしょう?」
 陽子が言うと、尚隆は我が意を得たりとばかりに、にやりと笑んだ。
「では、陽子が外套を作ってくれたら、俺が陽子を包むことにしよう」
「尚隆、お前なあ・・・・・陽子が困ってるだろ」
 呆れたように呟いた六太が、陽子を振り向く。
「陽子、嫌だったら蹴飛ばして逃げていいかんな」
 困ったように首を傾げる陽子の無邪気な様子に、尚隆と六太はくすくすと笑った。
       
        
        
 それからの陽子は、うってかわって、好奇心に満ちて動き回った。
尚隆と六太は、まるで子供が探検するかのようにあれこれ覗く陽子の後を、色々と教えてやりながら楽しそうについて廻る。
 心地よい小春日和のもと、陽子は思い切り深呼吸して、良く晴れた空を見上げた。
       
      
 次の目指す場所がほしかっただけなのだと、乗り越えた今ならば判る。
 上を上をと望むのは、人としてのどうしようもない性だけど。
 きっと、上を目指す気持ちが、人より強くなってしまったのだと思う。
 ――いつかそれが、両刃の刃となる時が来るのかもしれないけれど。
 取りあえず『今』を越えられただけでいいと、そう思うことにする。
           
 今はただ、雲が晴れてみれば未だ大層遠くにあった、遥かな高処を目指すだけだ。
          
         
          
           
           
 金波宮を出て二週間後。
久しぶりに戻った慶は、既に春が訪れはじめていた。
        
「やはり慶は、春が来るのが早いな」
「ええ」
 柔らかな色が広がる草原は光に溢れていて、子供達が、穏やかな春風に凧を乗せようと、元気に駆け回る。目の前にふわりと着地した可愛らしい凧をしゃがみ込んで拾うと、陽子のもとに駆けてきた子供に、
「はい」
 笑顔で手渡した。
「ありがとう、お姉ちゃん」
「これ、自分で作ったの?」
 少し不恰好な凧には、子供らしい絵が描かれている。
「うん。お兄ちゃんが教えてくれたの」
 少女にバイバイと手を振ってしゃがみ込むと、元気よく土手を下っていく子供を見送りながら、
「慶って、こんなに綺麗だったんですね・・・・・・。すっかり、忘れてた」
 さらさらと流れる柔らかな若草に手を浸して、陽子が言った。
         
           
 世界はこんなにも優しいのに。
 ゆっくり見回せば、宝物がたくさんある筈なのに。
 いつから、忘れてしまっていたのだろう。
         
       
 黙って陽子を見守っていた尚隆が、静かに口を開いた。
「それは、無理もなかろう。重圧を長く受ければ身を鎧って縮こまるのは、人間の本能だ。王であってもそれは変わらん」
 尚隆の声が穏やかだからこそ、自分の至らなさが身に染みる。
「でも、私は・・・・・・皆からあんなに大切に護られているのに」
 皆、どれほど心配してくれていただろう。
        
 ぽつりと呟いた陽子を包み込むように、尚隆が言った。
「外圧よりも内圧の方が厄介だぞ。己の内はそれこそ、他人には窺い知ることも手出しも出来ぬ領分だからな」
「・・・・・・内圧、ですか・・・・・・」
          
「己の心を守ろうとするのは、人として当然のことで、甘えでも情けないことでもない。結局のところ、自分は己にしか守れぬのだから」
 労わるような声音に不意に涙が零れそうになり、陽子は唇を噛みしめた。俯く陽子を優しく見下ろしながら、尚隆が続けた。
「だが、そうなると辛いことも感じぬ代わりに、楽しいことも感じられんからな。つまらんぞ」
「はい」
 俯いたまま、陽子が頷く。
「それでは余りに勿体ない」
 尚隆は、そう言って明るい草原を見渡しながら言った。
「――慶は、こんなに良い国なのだからな」
            
          
 どこまでも静かな口調と声。
 それは、
 草の流れに時の流れを見ているかのような。
 渡ってきた長い長い時を噛みしめるかのような。
           
           
 ――この人は、こんな穏やかに話す人だったんだ――・・・。
           
           
「・・・・・・はい」
 潤んだ声で微かに返事をして顔を上げると、尚隆の視線に寄り添うように、光溢れる草原の彼方を見つめた。
彼の見ているもののせめて切れ端でも、自分にも見えればと願いながら。
         
           
          
           
          
「陽子はさ!」
 陽子の背に覆い被さるように、六太がどし!と圧し掛かってくる。
「もっと気楽にいっていいって」
 そう言って主を振り仰いで問うように覗き込むと、
「その通りだ。どうせ先は長いのだからな」
 尚隆は自信たっぷりに言った。
「尚隆みたいに気楽過ぎても困るけど!な?尚隆!」
「・・・・・・俺にどう答えろというのだ」
 顔を顰めた尚隆に、陽子がころころと軽やかに笑う。久しぶりに見る無邪気な笑顔に、尚隆は眉間を解いて苦笑しながら、
「だそうだ、陽子」
 とだけ言った。
「はい!」
 頷いた陽子は、嵐の後の蒼穹のように、深く澄んだ、晴れやかな笑顔だった。
          
           
          

       
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