闇燈す灯り
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「では、陽子をひと月借りるぞ」
「どうぞ、よろしくお願い致します」
        
金波宮、禁門前。
悠然と挨拶した延王に、露台に居並ぶ寵臣達が深く頭を下げる。
「そろそろ行くか、陽子。今から行けば、日が暮れる前に雁に着ける」
「ええ。じゃあ皆、留守を頼む」
六太の言葉を受けて騎上から凛と告げた陽子に、浩瀚と景麒をはじめとする一同は拱手した。
「ご無事のお帰りを、お待ちしております」
陽子が頷くと、合図を待っていたかのように、軽やかに騎獣が飛翔する。
三頭の騎獣が見る間に遠ざかり、小さな点になり――やがて見えなくなった後も尚、皆、立ち去り難い表情で陽子が去った方角を見つめていた。
           
「浩瀚・・・・・・」
 その場の空気を代弁するかのように、不安そうに呼びかける景麒に、浩瀚は沈んだ声で返す。
「御留守をしっかり守りながら、主上のお戻りを待ちましょう。・・・・・・我等に出来ることは、それだけです」
        
         
         
         
           
 陽子が登極して、およそ百年。
 隣国の王曰く『最大の難関』である最初の十年を、慶は類を見ないほど良い形で乗り越えた。陽子は、内朝と軍の強固な支援を得て、雁・奏・範の三大国にがっしりと支えられ、それまでの人心と国土の荒廃ぶりからすると信じ難いほど僅かな時間で、内政を固め軌道にのせた。そして、十二国を見渡しても類の無いという中央と諸州の密な協力体制を治世の初期から築き上げて、着実に国を復興させていった。
結果、数十年を経た頃には陽子は『十二国一の賢帝』と称えられるまでになり、元々気候と資源に恵まれていた慶は、常世有数の活気溢れる豊かな国に成長していた。
      
      
 だが。
明るい光に満ちる王宮と街をよそに、女王が塞ぎがちになったのは、いつの頃からか。
仲間達が愛しい存在の気鬱を何とか晴らそうと心砕いても、元より相談下手な陽子が打ち明ける訳はない。これで政務に綻びでも生じればそこを突破口に切り込むことも出来るのだが、真面目な陽子は、どんなに悩んでいても完璧に政務をこなしてしまう。
難攻不落の砦の向こうで独り悩む陽子に成す術も無くなりつつあった彼らを見て、
『しばらくの間、俺たちが預かろう』
と申し出たのは、女王の大切な友人でもある隣国の王と台輔だった。
     
 そして結局、自分たちの心情や誇りはさておき、女王のことを一番に考えるならば、二人に預けるのが良いだろうという結論に至った。――何しろ彼らは、素行に問題は多々あれど、六百年も国を支え続けた存在には変わりなかったので。
       
       
        
「で?どうするんだ、これから」
 取りあえず一晩のねぐらとして確保した宿の一室で、六太が尚隆に訊ねた。隣室の陽子を慮って、抑えた声で尚隆が答える。
「雁と慶を廻るが――陽子次第だな」
「はあ?」
 思わず普通の大きさで答えてしまい、六太は慌てて口を塞いだ。
「陽子が行きたいところに行き、したい事をさせる」
「・・・・・・そんなんでいいのかよ」
 六太は、慶の官吏達を思い出しながら言った。
     
――出来ることなら、自分たちで女王を支えぬきたいのだけれど――
      
そんな瞳をしながらも、彼らは陽子を預けてくれたのに。
     
「・・・・・・それが一番良かろう。元より、自分で片をつけるしか無いのだから」
そう言った尚隆は至極真面目な顔をしており、六太はこれまでの長い道のりを思い返して何も言えなくなった。
      
確かに、尚隆は何度もあった危険な時期を、独りで乗り越えてきた。
       
でも、それはいつだって、『いつの間にか』闇に囚われて、『いつの間にか』乗り越えてきたのだ。乗り越えたきっかけが何かなど、問われても彼にも答えられないだろう。
「ともあれ、陽子は忙し過ぎるからな。あれでは、考えをまとめるどころではない。政務を離れてゆっくり考える時間が必要だろう」
「大丈夫だよな・・・陽子は強いもんな」
 祈るように呟かれた延麒の言葉に、尚隆は渋い顔をした。
「強さの問題ならよいのだがな・・・・・・」
「違うのか?」
「六太。俺が今まで乗り越えられたのは、俺が強いからではないのだ。言わば運や巡りあわせに近くてな、たまたま、乗り越えるきっかけがあったからに過ぎん。それも、針が振り切れる前に、だ。鍵が何かというのは越えてはじめて気づくもので、案外大した事で無かったりする。――俺にも、今はこれしか言えん」
「・・・・・・うん」
 延麒は延王の言葉を信じるしかなく、延王もまた、陽子にも同じように、彼女の根幹が壊れる前に『何か』が巡ってくることを、祈るしかない。
 二人は重い表情で、静まり返った堂室の扉を見つめた。
       
        
        
       
         
最初の数日は、陽子が特に行きたいという処もなく。
野原や海岸といった広い場所で、日向ぼっこをするだけだった。
膝を抱えて風景を眺める陽子に、――延王も延麒も、何も言わない。
        
        
野原を眺めるには、あまりに必死な瞳。
暗闇の中目隠しをされながらも、
必死で細い糸を手繰り寄せようとしているかのような。
一筋の光を見つけ出し、
それに縋りつこうとするかのような。
           
           
陽子の必死な背中を痛々しそうに見つめながらも。
彼らに出来ることはと言えば、
こちらを向いた時、黙って微笑んでみせるだけで。
      
陽子も、条件反射のように、微かに微笑むだけで。
         
 けれど、二人の笑顔も、見えてはいない。
 見つめるのはただ、自分の内側だけ。
体のうちで巡り続ける――暗い罠。
       
       
       
まるで頭上を塞がれているかのような、閉塞感。
    
       
このままでは駄目になる。
いつか限界が来る。
          
それだけは判っている。――それだけしか、判らない。
こんなところで止まりたい訳じゃないのに。
道さえわかれば、どんな努力だってするのに。
           
          
蓋をこじ開ける前に、自分が壊れてしまう――
       
       
        
       
       
「さて、陽子。今日はどこへ行きたい?」
 朝の挨拶代わりのように訊ねた尚隆に、陽子が穏やかに答えた。
「玄浪を、見たいんですが」
「玄浪?今の時期は寒いぞ」
尚隆は気遣わしげに眉を顰めた。かの街は雁の虚海側北東部の港町で、戴の対岸にあたる。条風がまともに吹きつける、雁の海岸部では最も寒さの厳しい街だ。
「大丈夫です」
 微笑んで答えてから、玻璃の外を見るふりをしてどこか遠くを見つめながら、陽子が呟いた。
「寒過ぎるくらいで・・・ちょうどいい・・・」
 陽子の様子に二人はちらりと顔を見合わせたが、
「んじゃ、飯食ったら出発しようぜ」
「はい」
「ただし、防寒だけはしっかりと!だぞ」
 明るく言った六太に、陽子は僅かに微笑んで頷いてみせた。
          
         

       
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